地球温暖化か寒冷化か?-- 予測の限界

mikeexpo 2008/06/14 04:51 先日は当方ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/mikeexpo2000にコメントいただきありがとうございました。
時に、教えていただけるとうれしいのですが、池田信夫氏がしきりと地球寒冷化を叫んでおりますが、事実はどうなのでしょうか?むずかしい質問とは思いますが。

私も、子供から大学までは「やがて氷河期になる」と教えられていたと思います。

であれば、いま人類はまったく逆の対策をしていることになる。

うがった見方をすれば、「氷河期に備えて、エネルギー資源のある国が謀略のため『温暖化説』を流し、その資源を囲い込んでいる。」のではないか?と思うのです。


mikeexpoさん、コメントありがとうございます。長くなりそうだったので、ブログのエントリーにさせていただきました。

陰謀説に結びつけるのは、結論を早まっていると思います。mikeexpoの質問に単刀直入に答えると、正直、「地球温暖化に向かっている」のか、「寒冷化に向かっている」のか、はっきりとした事は分からないのだと思います。一般の方は科学というと白黒がつく物だと思っておられると思います。しかし、科学の方が文学や政治よりも白黒が付きにくい物です。それは、自然科学では、「観測ミス」などがあるため、全ての仮説を観測により完全に否定できないためです。それから、実社会は数えきれない位の要素が重なってできているシステムなので*1、定説や思ったことと違ったことを観測したとき、「観測ミス」なのか、いままで観測されていない要素によって起こったことなのか完全には分からないのです*2。さらに言えば、これらの多数の仮説は重なっているので、この問題をさらに複雑にしています*3。だから、仮説は「確認」をすることができるだけであり、「検証」はできないとしている文献もあります。

さらに、気候予測は「深い不確定性(Deep uncertainty)」と言われる境域なので、「気候変動が起こっているかどうか」そして、それが「人間の活動によるものかどうか」を完全に言い切ることは科学では言えないと思います。

気候予測に対する何らかの対策がもし本当に必要な場合で、市民による集団的意思決定にまかせられないのなら、政治家などの「意思決定者」が何かのアクションを取らなくてはなりません。ですから、ある国の政治が「間違っている」とか「正しい」とかの議論になるのです。「正論」を言えば、温暖化・寒冷化などの気候変動が本当なら被害の規模は大きいので、「起こっている可能性」も「起こっていない可能性」もも考慮に入れた政策をするのが正しいと思います。しかし、中途半端な意思決定は競争にさらされている分野では良くない方法ですし、真実が正しいかどうかだけでなく、国際的な政治力学を考えなくてはいけない場合もあります。それが、今の温暖化・気候変動の話であると思います。

ここからは、気候変動と温暖化だけの話で、私の個人的意見です。気候変動は「深い不確定性」かもしれませんが、二酸化炭素の排出を規程のレベルまで下げられなければ、京都メカニズムで多額の税金を使わなくてはならない論理は「確実な将来」です。さらに余剰している投機的な資金が排出権市場に入ってくるでしょうから、石油の様に政府がおもっているより排出権が値上がりすると思います。これも、「深い不確定性」ではないとおもいます。国際的な政治力を考えた場合、「気候変動が人間の活動によっておこっている」とした国際的な路線が数年のうちに変わるとは思えません。その為に、いつまでも、「気候変動が人間の活動で起こっているかどうか」を日本が議論しつづけて、民官があしなみ揃えることができないのは、「大量の税金を京都メカニズムにつぎこむ」結論に突き進む事です。意思決定とは自分で将来のシナリオを決めることなので、ここでも「不確定性」は存在しません。

上の「正論」と述べたように「気候変動が起こっているかもしれない事」を考慮した行動を取ることに利益はあります。それは地球環境問題だけでなく、資源の効率化などの目に見える利益もあります。「気候変動が起こっていないかもしれない事」を考慮した行動にも利益はあります。


つまり、気候変動は一番重要な問題では無いかもしれませんが、起こっている可能性を現段階で排除するべきではないと思います。規模が大きすぎる話なので何も出来ないかもしれませんが、それは初めから考慮しないこととは違います。


最後に、ブログにタイトルにも書いてあるように、私は気候の科学者ではありません。気候科学者の友人が「何故僕等が今現在白黒つけられないと言っていることを、社会科学者は白黒つけようとしているのか分からない」といっていました。つまり、私を含めた社会科学者は「温暖化や寒冷化などの気候変動がが起こっているか」を議論するのではなく、「気候変動が起こってかどうかのシナリオ上での」社会科学の議論に集中するべきだとおもいます。

その場合、気候変動も将来の氷河期も非常に不確定な事なので、完全な判断を一回だけ「今」行うのではなく、適応的プランニングで、どちらの可能性を考慮した連続した意思決定を徐々にするのが「堅個な意思決定」だと思います。

過去の意思決定と温暖化の議論の話

従来の開発問題はどれだけ将来予測し、素晴らしい計画を立てるかだったが、「適応プランニング」は連鎖的な短期の意思決定と状況学習の連続である。さらに、そこに「堅固な意思決定」という物が入ると、利益率や効用の最大化だけでなしに、どれだけ将来の意思決定の節のオプションが縮まらないかも考える。

「堅固な」意思決定論が得意な分野は:

* 不確定性な部分が意思決定に大きく関わる。
* 長期的な意思決定の分野。
* 競争の激しくない分野。
* 絶対に失敗が許されない分野

「緩和策*3」なので上の話とは直接関係はないが、日本はもしかしたら莫大な税金を京都メカニズムで払わなくてはいけない危機がありますね。これが日本の気候変動・温暖化に対しての一番のリスクかもしれないですね。もう結構「深い不確定性」の領域をでているようです。ヘッジファンドがこの権利を買いあさっているので、最終的に日本が買い取ると分かっている状況なら、税金はヘッジファンドに最終的に取られてしまうでしょう。このお金をなんとか途上国の発展や適応策に使えないものだろうか。

知能動物として、事故後に「適応」するのでなく、事前の「適応」するすべはないのだろうか。気候変動が「人が起こしたか」どうかの議論と同じぐらいこの議論ももっとされるべきだろう。

*1:学術的にはオープン・システムといいます。

*2:もっと言えば、学門としての数学は「定理を自分で決める」ので、その定理が「間違っている」と言われる筋合いはないのですが、自然科学の「仮説は実世界が決める」ので、他の人に「間違っている」と言われる筋合いはありますが、実世界は口がないので「間違っている」のかどうか教えてくれません

*3:例えば、木を植えることによる温暖化要因と寒冷化要因、さらにその植えた地域の雲による温暖化要因と寒冷化要因などなど