ドン・ファデム 卒業


博士過程は実質3年前に終わっていたが、色々とセンチメンタルな理由で卒業式に出ないことにしていた。オックスフォード大学では、入学式のマティキュレーションは合同で一斉に行うが、卒業式はすごく個人的で、毎月行われており、いつでも出てもよい。実際、アメリカ大統領候補のオバマ氏のアドバイザーをしていた、○○○氏は25年ぶりに僕と一緒に卒業致しました。


伸ばし伸ばしにしていたが、僕もとうとう諦めて、6月7日、土曜日に卒業致しました。



と、言うことで、正直それ程、卒業式を重要に考えてもいませんでした。実際、当日も朝早く起きて、先週できなかったことの片付けをしていました。

ロンドンから友人が二人、親代わりな感じで出席してくれました。確か、自分の親が最後に卒業式に来たのは、小学校か中学校だったので、こんな感じだと思っていました。

朝早く起きて仕事を片付けていたので、眠く、疲れていて、あまり盛り上がりもなく、友人には悪いことをしました。

とりあえず、スケジュールどうり、自分のカレッジに11時に到着。色々、書類に書き込んで、テンションのあがらないまま、卒業式の説明をうける。



カレッジに到着


奨学金生だけが着ることが許される、スカラーガウン


普通は、卒業式は大学の福総長が行うが、今回は珍しく総長(chancellor)が行うが行うらしい。始めてあったときからおじいさんだったカレッジの説明官によると、「100年ぐらい、式に出ているが総長が式を行うのは始めてみる」そうだ。なんか、ラッキです。少し、緊張してきました。ちなみに現在のオックスフォード大学の総長は、昔の香港の総統で、1999年の香港返還を仕切った方です。


説明が終わったら、そそくさと、ハイ・テーブルでランチ。ハリー・ポッターで、教授が一段高いところで食事を様に、ハイ・テーブルとは、カレッジの教授やマスターが食事をするところでです。博士の時は、スカラーとしてハイ・テーブルで食事をすることがありましたが、今回が実質最後になるでしょう。そう思ったら、何だかシャキッとしてきました。位置的には、マスターの斜め前に座れてラッキーでした。羊のローストはおいしかったですが、時間がなくあまり味わっている暇はなかったです。



ハイ・テーブルにて


そして、みんなでシェルドニアン大講堂にむかい、2:30に二重ドアが閉まり、式が始まった。総長が「誇りに思える大学を出る」ことの意味をはなしてくれました。

「何があっても、研究の止めてはいけない」。

「世の中にはいろいろな解決しなくてはいけない問題がある」。

「オックスフォード大学はその為に、大きな役割をもっている」。

などなど。シェルドニアン大講堂の外で、動物愛護家が動物実験に対して反対デモを行っているのが、卒業式の間に聞こえたので、何かの因果を感じます。オックスフォード大学の自然歴史博物館で、進化論の公議を行ったダーウィンなどの様に、倫理、先入観、迫害、などに研究は常に対決してきた。僕等に世代も、その次の世代もこの歩みを止めるべきではないと思いました。

ここら辺から、本当に卒業するんだなーっと、思い始めてきました。

その後は、ラテン語で式が進み、何を言っているのか分からない状態が進み。自分の番が回ってきたので、前にすすみ、総長が何か言ったラテン語に関して、「ドン・ファデム」(I agree/同意いたします)と返しました。


一度、シェルドニアンの外に出て、スカラー・ガウンからDPhil(博士)ガウンに着替えて、再入場。


博士は一人一人、総長と握手をして、一言二言彼と会話をします。友人達によると僕は他の人よりはかなりながかったそうです。



会話はたいしたことでなく、出身と今している仕事のこと。日本人であり、未だにオックスフォードに残って、環境の仕事をしている事を伝えました。

彼が覚えてくれるとは思っていませんが、僕は当分は覚えているでしょう。

そして、式は終わり、写真会をして、友人達とパブに行って、夕食をして、全てが終わった。



本当に全てが終わった。公式・非公式にオックスフォード大学の学生でなくなった。天邪鬼なので、大学がどうだの、歴史がどうなど思いたくなかったたちだった。今はオックスフォード大学で学んだことを心から誇りに思う。

こんなひねくれて、曲がった人生を送ってきた僕に、奨学金と生活費をくれたオックスフォード大学。

選んでくれた斉藤先生。

奨学金は絶対受かる」と応援してくれたフランシス・マルブ氏。

いろいろと心を支えてくれた友人や家族。


シャイなので、この場を借りて、心からお礼をいわせてください。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


最後に、博士とは「クリティカル・シンキング」を学ぶ過程だと思う。「クリティカル・シンキング」とは、何かとあらを見つけることであり、「同意しない」事である。しかし、現実社会では、クリティカル・シンキングばかりでは、事が進まない事が多々あり、自分の人生も辛いばかりだ。

そして、卒業式で分けが分からないが「ドン・ファデム」(I agree/同意いたします)と強制的に「同意」させられた。

クリティカル・シンキング、時々、ドン・ファデム」でいいのでないでしょうか。ラスト・ピースの博士課程がうまりました。

ちょっと関係ある話

って、マルブさんに話したら。アフリカ人の最高に明るい笑顔で:

「大丈夫、君なら奨学金ももらえる。」


一体何の根拠があってそんなことを言うのかわからなかったが、こんなこと言ってくれる人は誰もいなかった。彼の後ろに「ケニアの大草原と夕日」が見えたかどうかは覚えていないが、すごく寛大な笑顔で言ってくれた。

私もオックスフォードに来たころ、学部の先生に一言こういわれました:
「いいか、ひとつ君がオックスフォードで学ぶことがあるとすれば、環境でもマネージメントでもない、それは、クリティカル・シンキングだ」。

「答えがある問題」探すことは本当につらい。長い暗いトンネルをくぐって、出口が全然見えてこない。「答えがでそうだ」っと思ったときに初めて、うっすらと光が遠くで見える感じがする。

実はこれが僕のオックスフォード大で博士号をしたときの印象。僕の奨学金に研究プロジェクトが付いていなかったせいもあるが、自分で自分の博士のトピックを決めた。制限期間内で終わる博士のトピックを探すのに非常に苦労した。指導教官は、「やってみなよ」と進めるが、そのトピックに答えがあるかどうかは絶対に教えてくれなかった。