無駄な公共事業の先に「国破れて山河在るのか?」

スウェーデンで何人かの日本人のエネルギー研究者の方と話をさせていただいた。日本の官指導のエネルギー政策に疑問視をされておられる方も何人かいた。

その中で、元民主党議員で、2002年に殺害された石井紘基氏の話を聞いた。恥ずかしながら、海外で博士課程に没頭していた時期だったので、石井氏のことは知りませんでした。、

ネットでサーチすると、色々でてきました。

http://video.google.com/videoplay?docid=-1387815983907035222


日本の官僚社会主義の結末が、旧ソ連の崩壊とだぶった石井紘基氏。命をかけて捜した残された資料に手をつけない民主党。むなしい。



彼の最後の手紙は、日本の崩壊を嘆き、「自分がやらなくては」といいながら、「こんな国に命をかける意味があるのか」との葛藤。



格差がゼロになることは不可能なのに突き進む社会主義国家。


海外に長年住んでいるため、日本に憧れを持っている僕も考えさせられます。



環境の分野も大いに関係があります。上のビデオの25分あたりで紹介されている村の予算は年間25億円、しかし、村の土建屋は年間20億円のお金をお上から貰い、わけの分からないダムを200以上の造ってきた。

ほんとにこのままでは、日本がつぶれるかもしれない。杜甫が「国破れて山河在り」と、「国はつぶれるかもしれないが、自然の川や山は残る」と詠ったが、無駄な公共工事で墓場の様になった日本の川や山は残るのだろうか。

過去の公共事業関連のメモ

先進国で「堅固な」意思決定論が役立つ分野は、情報や交通インフラなどの長期的展望が大事で、国のサポートされている分野ですかね、と思ったがしかしである。「絶対に失敗が許されない分野」て事が強調されすぎで甘えが出ているかもしれませんね。

問題なのは日本の公共事業は無駄な物がおおく、その無駄な公共事業が環境対策を考慮するために政府がお金を払ったら、それの環境事業も無駄になってしまいます。

多くの森林資源がありながら木材の自給率は20%ぐらいである。

その理由の一つが、補助金などにより、「甘やかされてきた」からであろう。林業の業者は補助金などにたよりっきりのビジネスになってしまったので、彼らの中からイノベーションを起こすつもりが無いのだろう。

日本の「ばら撒き式の公共事業」も似た様なところがある。これの頼りきった社会は、自分達で問題を解決してはいけないだろう。これでは本当の格差是正はむりだ。公共事業中心、補助金ばら撒きでの格差是正政策が出てこないことを願います。