温暖化・気候変動は「人が起こしたか」の議論

欧州連合の気候変動・温暖化プロジェクトに関わっているのでちょっと自分の意見をまとめます。

「人」が気候変動を起こしたかどうかの議論はされ続けるべきだ。このブログでもよく書いているが、気候変動が「宗教」になってしまって、反対意見を述べることが出来なくなるは反対である。それに、気候変動がアメリカの癌研究のように、研究資金の調達のために「何でもかんでも気候変動」になってしまうのも問題だ。


僕は気候変動でも「適応策」の分野にいる社会科学者なので、この手の議論には寛容なのかもしれないが、「人が起こしたか」どうかの「だけ」の議論は、最重要項目ではないとおもう。

『季刊AT』という雑誌に、槌田敦氏の「温暖化の脅威を語る気象学者たちのこじつけ理論」という論文が出ている。著者は著名な物理学者で、この原文は今年の国際学会誌に掲載されたものであり、トンデモ論文ではない。


まず、上のブログで参照されている記事や他の似たような記事の要点は以下のことだろう。

  1. 気温上昇は上昇している
  2. しかし、人間活動が原因ではない
  3. 気候の災害は昔からある


1番目の話は「人が起こしたか」どうかは関係がない議論で、温暖化が見られることは認めている。2番目がこの手の議論の中心である。3番目の議論はあったりなかったりするが、昔から天候の災害は存在するし、今もある。

結論は、「温暖化してきている。そして、昔からある気候災害は今もある。」


この意見には僕は賛成である。大まかに言ってしまえば、その気候災害に対処しようという話が「適応策」の分野である。つまり、気候災害に対処する分野では「人が起こしたか」は関係がない。
もちろん、原因を発見したり、問題を起こしている「加害者」をみつけて、「適応策」に責任を持たせるといった意味では関係がないわけではない。この原因究明の分野が「緩和策」といわれる分野であり、大体においてこれは「二酸化炭素排出削減対策」を意味する。

日本だけでなく世界中でも温暖化と聞いてみんなが考えることは「二酸化炭素排出削減対策」であり、何とかして温暖化を妨げようということである。しかし、これはほんとにナイーブな考えである。

「人が起こしたか」どうかの議論に関係なしに、気候変動・温暖化は進んでいる。欧州の政治家が「温暖化を2度で抑えよう」といっているが、気候モデルで温暖化が2度で収まるといっているメージャーなモデルではない。

つまり、温暖化が「人が起こしたか」どうか関係無しにどうにか防げると考えないほうがよい。もちろん、知能動物として、何もしなくても人間は温暖化に「適応」していくだろう。しかし、ここにこそ政策の関わる意味があると思う。

上の3つの議論で書かなかったが、さらなる問題がある。この地球規模の気候問題は日本語では「地球温暖化」といわれ、なんだか、徐々に地球の温度が上がっていくだけの話のように思われる。しかし、この問題は本来「気候変動」と訳されることである。

例えば、イギリスでは洪水と干ばつの被害が同時に起こっている。変だと思うかもしれないが、それはもともと洪水や干ばつに対処してきた地域が気候が変わってきたことにより、合わなくなってきているからだ。サブサハラなどもっとひどい。

それから、「昔から天候被害はある」といっても、最近の再保険業界の損失を知っているのだろうか。たとえば、2004年度の被害は170億ドルで過去に最大にロスだったが、2005年度はさらに広がるそうだ。ハリケーン・カタリーナだけで経済的被害は1350億ドルだといわれている*1。途上国などもっと被害が大きいだろう。

知能動物として、事故後に「適応」するのでなく、事前の「適応」するすべはないのだろうか。気候変動が「人が起こしたか」どうかの議論と同じぐらいこの議論ももっとされるべきだろう。

話が大きくそれましたが、この「それた」部分が僕の一番言いたかったことです。

*1:保険のロスはこのうちの保険に入っていた分である。