市場メカニズムの限界:うまいグリーク・サラダを食べて思う

普段の出張は「ドアtoドア」なのでほとんど何もみずに家に帰るが、今回は会議より一日早く来たので、アテネから簡単にいけるグリーク・アイランドの一つエギナ島に行ってみた。綺麗な海とギリシャの街。海の見えるレストランでギリシャ名物のサラダとイカのフライをいただいた。


これがほんとにうまいのだ。特にサラダ。トマトは甘いし、キュウリも味がある。イギリスの野菜はホントに味がないなと思う。これは日本に帰ってきたて野菜を食べたときにも思う.イギリスの野菜はギリシャや日本に比べて味がない、美味しくない。グルメでないことを誇りに思っている僕がこう思うので、多くの人もそう思うだろう。


リラックスしながらも今日一日、なぜ「イギリスの野菜がまずいのか」考えていた。


考え付く事は:

  1. 気候が良くないので、野菜まで美味しく育たない。
  2. イギリス人の味覚のレベルがそれほど高くないので、美味しい野菜を育てようとか、仕入れそうとか思わない。
  3. ほとんどの野菜を海外から輸入してくるので、完熟した野菜を食べることができない。


どれも正しいだろうが、3番目から考えてみよう。

イギリスの野菜と果物は海外からも物ばかりだ。まだ熟れていない状態で野菜や果物を刈り取って、イギリスまで運んでくる。もちろん、この方法が地元で野菜を育てるより安いからだ。


経済学はもともと「効用」を大きく取る事を目的にしている。「効用」をはかるのに「お金」の単位を使うが、いつの間にか単位の「お金」が目的になり、「お金」を大きく取ることがだけが「効用」を上げることになってしまった。しかし、現実には「お金」なっていない「効用」が多くある。

費用便益分析(Cost Benefit Analysis)は市場が存在しない分野では、あまり役に立たないと言われるが、反対も同じで、費用や便益が明確でないところには明確な市場は存在しない。イギリスでは熟れたトマトを美味しいと思うことにあまり便益を感じなかったので、イギリスには「地元からの完熟トマト」の市場はなくなってしまったのだろうか。

本来「地元からの完熟トマト」と「海外からの未完熟のトマト」は競合関係にあるが別の市場が存在するはずだが、イギリスではそんな区別がされなかったのか、いつの間にか食べるトマトはほとんどまずい物ばかりになってしまった。


だからといって、何から何まで規制するのは好きではないが、市場のメカニズムだけを信じるのも危ないと思う。最近は、「イギリスの物を買おう」キャンペーンとか見るけど、一度失ってしまった、地元農業を復活させるのはほぼ無理だろう。