「答えがある問題」を探す嗅覚: 「ゆとり教育」と「博士の余剰」

今朝、ここら辺のブログを読んで思うことが一つ、二つある。

  • [ゴーログ] 学校教育:答えは一つではない

http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_823c.html

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何年も「ゆとり教育」や「博士の余剰」が問題になっているが、なぜこんなことになったのだろう。誰も(欧米の様に)「小学生にもっとゆっくりしてほしい」だとか、「博士をどんどん増やしたほうがいい」とか思って事を進めたわけではなかろう。

真相は多分「欧米の小学生は発想が豊かだ。その過程でゆとりできたのだろう」とか、「欧米の社会ではイノベイションが活発だ。その過程で博士の数が増えたのだろう」とか思ったのだろう。

すなわち、本来の目的は「小学生は発想を豊かにする」とか、「社会でイノベイションを活発」にするとかで、「ゆとりを作る」とか、「博士の数を増やす」事は過程でしかない。その過程又は方法がいつの間にか目的になってしまった。そこで満足してしまったので、本来の目的が真剣に追求されなかったのだろう。

「自由な発想」の為にゆとりがある必要はわかる。しかし、それは「勉強時間を減らす」事ではない。先にブログにも書いてあるように、「答えが一つではない」事を学ばせることが必要である。詰め込み的な反復教育ももちろん必要である。数学的に1+1=2であるのは普遍的は事実だし、特定の漢字には特定の読み方がある。しかし、それらの基礎の上で応用問題を詰め込み的教えることが、「答えが一つしかない」と教えることになってしまわないだろうか。この「自由な発想」や「答えが一つではない」教育は、実は日本の「博士の余剰」と関係してると思う。

日本の博士の数は他の先進国に比べ、実はまだかなり少ない。しかし、余剰している。その理由は日本の国や民間の企業で博士号保有者を雇う機運が無いからだ。よく「博士持っているやつは、融通がきかなそう」とよく聞く。社会が勝手にそう思っているだけかもしれない。しかし、ほんとにそうだとしたら、僕でも雇わないだろうとおもう。

現実社会ではまず、「答えがある問題」を探すことが大事であり、そして、おかれている状態で試行錯誤しながら答えをだす。もしろん、その答えが「一番正しい」かどうかなど誰も知らないっていうか、「一番正しい」などと言えることなど無い。

「答えがある問題」探すことは本当につらい。長い暗いトンネルをくぐって、出口が全然見えてこない。「答えがでそうだ」っと思ったときに初めて、うっすらと光が遠くで見える感じがする。

実はこれが僕のオックスフォード大で博士号をしたときの印象。僕の奨学金に研究プロジェクトが付いていなかったせいもあるが、自分で自分の博士のトピックを決めた。制限期間内で終わる博士のトピックを探すのに非常に苦労した。指導教官は、「やってみなよ」と進めるが、そのトピックに答えがあるかどうかは絶対に教えてくれなかった。博士過程が他の学習システムとは大いに違うところ。つまり、修士までは「ガンバレ」ば答えが出るのは分かっている。

僕の仕事は科学というよりは社会コンサルタントとかシンクタンクなので、「答えがある問題」を探す嗅覚は「クリティカル・シンキング」と同じぐらい役に立つ。

もし、教授のまるっきり弟子になった博士課程をしていたら、すごい研究ができたかも知れないが、「融通がきかない」博士になっていただろう。もちろん、「融通がきかない」といわれるハードコアな科学者も必要だ。しかし、、社会の目的が「イノベイションが活発」な社会を作るとしたら、「すごい一つの回答」を手取り足とりで教えるより、「答えが一つではない」事や「答えがある問題を探す方法」を学ばせたほうがいいと思う。

毎年、大手コンサルタント会社のマッケンジーやBCGがオックスフォード大にきて、「出来立て博士」をかっさらっていく。「答えが一つではない」事が要求されるコンサルタントで、新人博士たちはMBAホルダーたち同等のポジションをもらって巣立っていく。「博士課程が融通の利かない、役に立たない労働者」を作る事を否定する例が毎年何十人も僕の町から出ている。


何年か前、日本のどこかの大学が「使い物になる博士」を育てるといって、全て授業方式で、博士論文を書かないコースを作ったとニュースで知った。こんな、詰め込み式の延長博士コースなど、的が外れているもいいとこだ。本当に「使い物になる博士」が出来たのか見てみたいって、いうかこんなの世界的には博士とは認められません。

高度成長期の時代は、大量生産の為に「質の良い労働者」が必要だったが、今は「イノベイションが出来る秀才君」が必要だ。その点を踏まえ、新指導要領・「ゆとり教育」や「博士の余剰」を見直してほしい。

少し、興奮気味に長文を書いてしまった。