「規範なしの排出量取引は危険」へのコメント

今春からUK排出量取引関連のプロジェクトをします。その間連のおもしろい記事を読んだ。

【正論】米本昌平 規範なしの排出量取引は危険
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/132387

環境省のマスコミ対策≫
 地球温暖化対策の一つとして、温室効果ガスの排出量取引について日本でも本格的な議論が始まった。それ自体、大いに歓迎すべきことである。ただしその際、EU(欧州連合)の排出量取引制度について、これまでの評価を改める必要がある。

 最近までEU排出量制度は、唯一の先行モデルとして、これを絶賛する論調が圧倒的だった。導入するのは全くの善であり、それどころかいま認めなければ世界の趨勢(すうせい)に遅れるという論調である。だがこれは、マスコミに大量の好意的意見を載せさせて一気に政策を認めさせる、環境省の政治手法の産物である疑いが濃厚である。水俣病問題以来の「ムシロ旗作戦」と呼ばれるお家芸である。

いがいに日本ではEU排出量取引制度(ETS)の評価が高かった事に少し驚いた。しかし、米本先生が述べる様に色々と問題もある。ETSはEUではまず導入したことには評価を得ている。しかし、効果が薄かったことと、分配制度の不均等で問題が起きていることへの批判がある。例えばイギリスにおける保健サービスのNHSは、ただえさえ借金を抱えているのにこのETSのせいでさらなる借金をかかえる事になる。

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 ≪「証券化」の落とし穴≫
 つまり、現行のEU排出量制度は温暖化対策としては機能していない。実はその理由の一つは、欧州企業が排出量の正確なデータを政府に提出しないからである。この点、日本は企業と政府との距離感が小さく、驚くほど詳細なデータを提出している。だから、業界ごとに排出量を定め、第三者が仲介して排出量を相対売買することは、日本の方が格段に現実味がある。

 この事実を踏まえた上で、いま、われわれが真摯(しんし)に議論すべきなのは、排出量取引の思想的・文明論的な側面である。温暖化対策の費用という経済の外部にあった因子を内部化するという意義は認めるとしても、そのことがただちに排出量取引をあまねく導入すべきだという主張につながるわけではない。

 そもそも排出量は正当な労働の対価として生み出されたものでなく、所有権の正当性が疑わしい財である。それ以前に、形の把握しにくい財であり、厳格な格付けなしに流通させるのは、あまりに危険である。かくも不安定なものを、資源の最適配分という市場万能主義にだけ寄りかかり、大規模な証券化を提案することの無神経さは、強く批判されてよい。

 温暖化対策のためには、市場機能をどのような論理と、どのような規模で近未来社会に組み込むべきか。この基本命題に取り組むべきなのだ。そして、慣れ親しんだ社会制度や価値体系と温暖化問題とを対峙(たいじ)させ、その費用をこれに織り込んでいく膨大な作業が待ち構えている。だからこそ一刻も早く地球環境問題のマルクスが現れ、現存する人々の間と、未来世代の双方に関して、負担が公正に算出できるような「新資本論」を書き下ろしてくれる必要がある。禁欲的な規範なしの排出量取引の導入は、サブプライムローン問題同様、地球環境と金融システムとを同時に不安定化させてしまう恐れ、大なのである。(よねもと しょうへい=東京大学先端科学技術研究センター特任教授)

このEUと日本の制度の違いが、「企業と政府の結びつき」の違いと言う所がおもしろい。EUのETSが失敗している理由で一番言われるのが「供給上限(Cap)を大きく取りすぎた」事。しかし、この記事は企業と政府の結びつきが弱いことを理由にしている。かなり、日本的な解釈だが、おもしろいと思う。ただ、欧州の研究者達は「企業と政府の結びつき」をいい事だとして、すなおにこの意見に賛同するだろうか。「企業と政府の結びつき」は癒着などいい印象を与えないのも事実。

日本の「セクター・アプローチ」はある程度EUでも評価は受けている。しかし、インドが推進するポスト京都の「一人頭(par capita)・アプローチ」も米国の計画している排出量取引EUのETSにリンクすることを掲げている。好き嫌いをいっても、実際には排出量取引はもう証券化している。ファイナンスはグローバルなシステムなので、日本独自路線を進んでしまうと、日本の携帯電話の様に、どんなに優れていても世界から取り残されることになってしまう。この点は政治の手腕がおおきいと思うが、EU排出量取引方式を批判するだけでなく、現在の世界スタンダードになっている*1この方式にどの様に関わっていくか考えるべきであろう。


最後にもう一つ。この記事にはかかれていないが、すでにEUはETS第二章を計画している。

*1:他の方法がないのでって、こともあるが