床屋のサービスと環境への「配慮」

昨日、親父の床屋に行ってきた。実は日本で床屋に行くのは10年ぶりぐらいだった。小さいころから、床屋のおじさんに将来のこととか聞かれるのがうっとうしいと思っていたので、海外にでてからは日本で髪を切らないようにしていた。

確か、親父があそこの床屋はあまり喋らんでいいと言っていた。行ってみて確かに「ここの床屋のおじさんは無口やな」と思った。それから、サービスが豊富な事。髪を切る前にシャンプー、髪を切ってからまたシャンプー、顔の毛そりと同時にミストのシャワー、耳の掃除、頭から肩へのマッサージ、それから腰への電動マッサージ。1時間15分リラックスして、これで3800円!イギリスなら、同じ金額でバリカン10分でおしまいである。

日本のサービス精神の真髄は相手の気持ちを聞かずに「配慮」することにあるとおもう。日本語の文は良く主語と述語が入っていないが、それでもそれまでの経緯と尊敬語や謙譲語の相手関係から、大体誰の事を言っているのかわかる。


「まーそこまで言わんでもわかるやろ」って、感覚であると思う。


西洋人は何かしらの定義を決めるのが好きだなとよく思う。物事を白黒はっきりさせて、お互いの理解を深める。多様化した社会ではこの「まーそこまで言わんでもわかるやろ」って、概念より、「白黒はっきり」のほうが都合がいいのかもしれません。

しかし、相手が話し合うことができない対称ならどうだろう。物を言うことをできる口を持たない自然環境と動植物。自然環境と動植物の言葉を直接言葉として聞くことのできる耳を持たない私たち。床屋の帰りに、「まーそこまで言わんでもわかるやろ」って、感覚で環境に「配慮」していくのも大事だと思った。

  • 英語版を以下の共同ブログに載せました。

http://edgeofchaos.typepad.com/the_edge_of_chaos/2008/02/i-went-to-fathe.html