打ちのめされる事

最近はあまり打ちのめされる経験をしなくなった。

今日は、昨日は書いた「保険と洪水」話をある人とディスカッションした。彼のクリティカルな返答に、ひさしぶりに打ちのめされた感を味わう。

青春映画に出てきそうな、雨の中、近所土手でライバルと殴りあい。お互いあおむけに倒れ込む。

A男:「やるなおまえ」。

B男:「おまえもな」

A男とB男「ハハハハハ!」

大粒の雨が、A男とB男のほほをさらに殴る。


長い説明だが、こんな感じの爽快な打ちのめされかただった。

昔は良く打ちのめされたものだが、いつかららあまりそんな経験をしなくなった。いくら研究関連の仕事でも、やはり仕事相手をこてんぱんにやっつける行為はしない。いくら討論王国オックスフォードでも住んでいても、学生時代の熱い討論は働きだしてからはやらない。肩書や経験値、こんなものも討論をするのには邪魔になる。

学生時代は、なくす物はない(と思っていた)ので、思いっきり恐い教授に討論を挑んだこともあった。年を取ると自然に頭のキレが悪くなるだけでなく、議論の為に「打ちのめされる」「打ちのめす」行動を経験しなくなるのも、クリティカルな研究者としてやっていけなくなる理由かもしれない。

建設的な討論からは、色々な事を学ぶ。間違っていると言われることは辛いが、早めに指摘されることは大事。視野が狭くなっていると、なかなか新しい考えを受け入れるの難しくなる。そんな時、きれいな右ストレートを食らうと、目が覚めて新しい考えを別の視点から見れるようになってくる。ボクシングに例えると、前に前に出て打ち合うロッキーの様な「ファイター型研究者」が、いつの間にか相手の周りを回って回って遠目からチクリとやる「ボクサー型研究者」になってきているのだろうか。

感情的になって相手の言論を攻撃してはいけない。最近、すぐに暴れる若者を「キレた」というが、そんなキレかたでなく、筋の通った切れた討論をしたいものだ。いつまでもトンガって「いたい」けど、打ち合いの人生は「痛い」だろうな。また、ダジャレで締めくくってしまった。30点!




それから、オックスフォードの洪水は収まり感がある。しかし、今週末のまた雨が降るので、いまだ様子見感もある。
洪水被害に遭いそうだった同僚の三人も、問題無かったようだ。ひとまず安心。