禁煙規制(Smoking ban)が、イギリスで試行されてから一週間

もっともみじかな環境問題の禁煙規制(Smoking ban)が、イギリスで試行されてから一週間ぐらいたつ。田舎に育ったせいか、結構タバコを吸うことが格好いいと思っている人達が回りにはたくさんいた。高校の友人の大半がタバコに手を出していた気がする(卒業後の話ですが)。そんな所に育ったが、昔から天邪鬼だったので、タバコがかっこいいと思ったことはない。「口からモクモク煙を出して、機関車トーマスか」などと言っていた気がする。

そんなふうだから、もちろん禁煙規制が試行されると聞いて、かなり喜んだ。7月1日の試行の前から、禁煙になるパブなどが出てきて、自分としては過ごしやすくなったとおもう。しかし、空港外でも、「タバコを消しなさい」と、職員に起こられている人を見るとちょと可哀想になってくる。

喫煙者の側から見たら、全面禁止にしなくても、喫煙パブと禁煙パブに分ければいいのではないかとの議論もあるだおろう。確かに、「吸う権利」と「(副流煙を)吸わされない権利」は二者択一の様で、そうでもない。場所を分ければ両方の権利が確保される。確かに、この論理で禁煙席と喫煙席とに分けれてきたわけである。その方法では、政府が満足していないので、これは「(副流煙を)吸わされない権利」を守るだけでなく、最終的には「吸う権利」を取り上げる事を目的にしている法律だ。タバコの害の医療費や労働者の寿命の問題は、副流煙をすっている被害者より、加害者である喫煙者の方がおおいはずである。だから、「タバコを吸うのはあなたの勝手でしょ」とは、いえない。

なぜ、タバコをすいはじめるかは、どこかにかっこいいイメージが定着しているからだろう。大人になってからかっこいいイメージから離されてタバコを止めようと思っても、始めてしまったら中毒作用でやめられない。タバコ会社もなんとも頭のいい商売を考えたものだ。

友人でこの様な社会現象を研究しているひとがいる。「皇帝のジレンマ」というらしい。難しそうに聞こえるが、実は裸の王様だ。「みんな一人づつは、裸の王様が変だと思っているが、他のみんなは裸の王様はおかしくないとおもっているので、普通のふりをしている」。十代の若者の喫煙者や飲酒の常習者に、ほんとにそれらの行動が「良い事と思っているか」と聞くと、そうでもないらしい。しかし、これらの行動を「他の友人たちがかっこいいと思っている」と、思っているらしい。どの社会に住んいるかで、この現象は違うらしいから、地域の問題でも、社会ネットワークの問題でもある。

いつか、タバコ王様のかっこいいマントが外れるときが来るのだろう。