「需要主導の研究」のジレンマ

今日はrefugee study centreと会議があった。

僕等は、環境変化における脆弱性vulnerability)の研究をしている。RSCは強制的な移民や移住の研究をしている。

脆弱性が最大になって場合、最終的な選択は今まで住み慣れた場所を捨てて移住することだ。つまり、強制的な移民や移住は、最悪の状況での最後の選択である。その最悪の状況とは、戦争などだけではなく、大規模なかんばつや暴風などの自然災害が要因の場合も考えられる。

もし、早い段階で自然災害に対応していたら、強制移住などのような事はしなくてもよかろう。今回の会議はこの点でプロジェクトを進める話をした。

会議での残った問題点は:

  • 「ある時期に自然災害に対応していたら、強制移住は起こらないとする」と、しても、それは観測可能なのだろうか。
  • 災害の分別が必要ではないだろうか。
  • どの様なフレームワークが、政策に活用されるためには必要か。

どれも簡単には答えられない話だが、最後の問に後からピキーンときた。これはこの研究が需要主導でおこなわれようをしていることを示している。「役に立つ研究」をするなら、喜んで参加するぜって、気分の自分です。

経験上、政策担当者は「数字の研究結果」を要求する。政策の最大の仕事が予算の振り分けである訳だから、数字があったら割算と引き算の助けになるのはわかる気がする。しかし、もし研究結果が数字が出しにくい場合どうしたら良いのだろう。今回の「自然災害における強制移住の予測」は簡単には数字ででない。出たとしてもそれがどこまで信憑性があるか定かでは無い。

「数字がどうしても必要?そうですか、あなたたちとは話が合いませんな。それじゃ、さようなら」と言うかって、言えないというか、言ったら「需要主導の研究」でなくなる。それで、適当な数字を出した場合、研究倫理の問題が出てくる。実際、ある有名な宗教系の団体がかなりあいまいな数字を出して問題になっている。しかし、英国政府は喜んで、数字を提供する彼らと話をしているようである。

僕は統計や経済学を学んだので、量的な研究は好きだ。しかし、役立たなくては意味はなし。

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