北斗の拳と、諸行無常と、21世紀環境立国戦略
今日は、日曜日だがボスの家に呼ばれてバーベキューをした。いわゆる「接待バーベキュー」だ。呼ばれた人の中に、ポスターやパンフレットを作ってもらうアーティストのジムさんがいた。彼は何度か日本にいっていて日本通なのは知っていたが、日本の名前を持っているとは知らなかった。
「私の名前は自分が無い(no myself)です。」
???
ジムさん、どうやら、
自無さん
というらしい。
最初は???と頭がなったが、自分の「自」が「無い」なのか。
よく考えたら、なんとも仏教的な悟りを開いた人の名前なんだろうとおもった。最初は北斗の拳の奥儀「無双転生」が浮かんだが、結構、仏教の核心を突いているのでは無いだろうか。
「無をつかんで生を成す」
こんな事を、家に帰って風呂に浸かりながら考えていたら、空海和尚が言っていた
「諸行無常のひびきあり・・・」
と独り言をいっていた。
「形あるものはみな壊れる、ならば形の無いものを愛そう。」こんな風に解釈してもいいのでは無いだろうか。形の無いもの:
- 友情
- きれいな空気
- 安全な社会
- すごしやすい環境
などなど、いくらでもある。それら、形の無いものを愛し、満足を得る。すなわち、ケンシロウのいっていた「無をつかんで生を成す」である。
「他人を身の回りの環境を思いやる心」
自分の見た目の豊かさを、犠牲にしなくてはならないかもしれない。しかし、それによって得られる満足度を考えるべきであろう。もし、その満足度が得られない社会であるのなら、それはかなり社会がやんでいるのだろう。
ふと、ケンシロウが荒野を歩いているシーンが目に浮かんだ。今日はこの辺でやめておこう・・・
- 21世紀環境立国戦略
阿部首相の「21世紀環境立国戦略」が閣議決定される見込みになったらしい。
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=8434
内容は「伝統的な日本の自然観を現代に活かした美しい国づくりの推進」らしいが、伝統的な日本の自然観とは何か良く考えてほしい。「他人を身の回りの環境を思いやる心」こうゆう無形なものって、本当の「日本の伝統美」って思うのですが。