「人生いたるところにブッタあり」と中庸
世界中で、北京オリンピックの聖火リレーに対する抗議行動が起こっていますが、チベット側の精神的リーダーであるダライ・ラマ氏は暴力的な抗議行動や、オリンピックのボイコットを賛成していません。
それは、仏教には「中庸」といって、「ある一つのことに偏らず、物事を大きく真ん中から見る」といった考えがあるからです。中国を「完全悪」と捉え、中国の晴れ舞台であるオリンピックをボイコットすることをダライ・ラマ氏は望んでいないのでしょう。
仏教は「環境問題」にも公言しており、「中庸」が「東方的な環境に対する接し方」でもあると思います。
- 作者: 立松和平
- 出版社/メーカー: ゴマブックス
- 発売日: 2007/12/05
- メディア: 文庫
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この本を、前回日本から帰ってきたときに空港の本屋でふと手に取った。そのまま面白そうだったので買ってしまった。
「中庸」の考えでは、自然に突然接したりヒステリックに守るより、「自然に生きて」いけばいいといっています(160-161ページ)。
つまり、一部に人間がアクティベスト的な行動をとるよりは、多くの人が普段から自然と共に生活し、「自然と共に生きる人たち(漁師など)」の声に耳を傾ける事のほうが、「自然と共に、自然に生きて行く*1」事になるのでしょう。みんながみんなで問題を確認しあうモラル。それは「自然と人間」だけでなく、「人間と人間」の間にも言えることだとおもいます。
「東方的な環境に対する接し方」と書きましたが、なんだかこんなモラルを失っている気がしますね。
*1:ちょっと駄洒落ですが