プチ自給自足の生活

昨日はアジがたくさんとれたので、夕食は、アジの揚げ物だった。添えた柚子は庭からとったもので、もらったイカの刺身と、これまたもらったお米で食べた。洗い物は井戸水。余った柚子で100%の柚子ジャムを作る。


シンプルな生活を満喫している。懐古主義者ではないので、何でも昔の生活が良いとは思っていないが、こうゆうシンプルな生活は好きだ。

現実には現金が必要なのは分かっているが、このように自分で食物を生産するか、近所から取得することは金銭以外にいろいろと利益がある。




まず、近所付き合いが余りににも無かったイギリスでの生活と比べても、めんどくさいながらも、「もらったり、あげたりする文化」は心が温かくなる。


確か、昨年カナダの研究グループが「自分の為にお金を使うより、他人の為にお金を使った方が満足感が高い」という研究結果を発表した。この島にきてから、これもあながち間違っていないと思う。

それから、健康に関してだが、新鮮は食物を食べることとは栄養価のたかくおいしい物を食べることになる。


イギリスにいたとき、おいしくない物が多かった。(イギリス料理は一般的に言われている理由ではなく、食材としてである。)

イギリス製の物もあるのだが、多くはスペインやアフリカなどの暖かい地方から野菜や果物などを輸入している。南米産のフレッシュなリンゴなんかもよく見る。


遠くから運んでくるので、当然、青いうちから果物を採ってくるか冷凍物の魚介類になる。これではやはりおいしくない。


このような金銭に現れにくい利益はなかなか政策には考慮されにくい。難しいですね。一度、地元の食材を使った生活を経験するとおいしさと、人の暖かさがよくわかるのだけどな。

エチオピアのマイクロインシュランスの「問題点」と「興味深かったこと」

公開セミナー: アフリカにおけるソーシャルエコノミー(社会的経済)

2009年11月25日 午後15:00 から18:00 (日本時間)

国際労働機関(ILO) 駐日事務所と世界銀行東京開発ラーニングセンター(TDLC)は2009年11月25日、アフリカにおけるソーシャルエコノミー(社会的経済)に関する公開セミナーを共催します。東京会場はTDLC、ビデオ接続先はアディスアベバです。ソーシャルエコノミー(社会的経済)は経済的ニーズおよび社会的目的双方の拡充を目指すものです。

セミナーでは、アディスアベバからILOアフリカ総局次長・ユルゲン・シュベットマン氏が、協同組合、マイクロファイナンス、マイクロインシュランスなどアフリカにおける社会的経済の促進及び拡大に向けた取り組み、そして2009年10月に南アフリカで行われた国際会議
“社会的経済: 世界危機に対するアフリカの対応”の成果を報告します。またILOアディスアベバ事務所社会的金融専門家・ジュディス・ヴァン・ドールンが、「アフリカにおけるディーセント・ワーク実現のためのマイクロファイナンス」についてプレゼンテーションを行います。引き続きアフリカ・日本、そしてアジアにおける社会的経済について、アディスアベバと日本の専門家たちによるパネル討論を予定しています。

エチオピアのマイクロインシュランス関係のフォーラムがあるようです。

丁度、エチオピアのマイクロインシュランスの章を書いているので、少しをまとめて見ます。


エチオピア貧困層を助ける仕組みでマイクロファイナンスは早くから使われてきた。IDDRIといわれる、葬式の資金をプールする仕組みは以前からあったので、途上国だからといって、金融が無かったということはない。正式なマイクロファイナンスのプログラムとして、1994頃からエチオピア政府は貧困層向けに負債を100%カバーする制度を始めたが、これはやはり貧困層が借金を踏み倒す要因になってしまうので、廃止された。その為に、資産をもたいない貧困層は連帯保証制度に頼るしかなく、エチオピアマイクロファイナンスはグループで借金をする仕組みがほとんどである。マイクロインシュランス(小規模保険)はマイクロファイナンスのインフラや仕組みを通常使われるので、ここがベースとなる。

その村人にどの様な保険が必要かといった調査が以前行われた。調査対象となった村人によると、一番の問題点は農作物は食料である。その為、一番必要とされた保険はやはり、農業関係の保険であった。健康などへ関しての保険のニーズがあるだろうが、十分は食料がないことが健康を害することに繋がっているので、これは当然といえば当然だろう。

今現在、農業の保険の仕組みで一番良いとされているのは、Weather Index based
Insurance。つまり、ある気候のインデックスによってペイオフがされる仕組みである。この仕組みについてはちょろっと以前に書いた。http://d.hatena.ne.jp/euro-envi/20091002
 もう少し、詳しく今度書いてみよう。


気候インデックス保険のインデックスを作るには、30年ほどの気候データーが必要とされているが、Oxfamのプロジェクトでは現状は7年ほどのデータしかないようです。さらに、そのデータも信頼性はよくないようです。それでは、ペイオフが実際の損失の連動しない可能性が高いので、ギャンブルになりかねないですよね。

つまり、気候インデックスを使った保険の需要は田舎の農村地で高いのですが、その需要が高いところでは気候インデックスを行う為のデータが不足している。結果として、気候インデックスを使った保険は:

  • 需要があるところで行った気候インデックスを使った保険は、データが良くないので成功しない
  • データがあり供給しやすいところで行った保険は、パイロットプロジェクトでは成功だが、広範囲では成功するのかあやしい


のどちらかになると思います。

「需要もあって、データもある」状況を作り出す事でOxfamが行ったことで興味深かったのが、コミニュティーに自分で雨量を取らせることです。

子供が使うようなプラスチックの容器で雨量を測定するのですが、それを見たときは「こんなもので大丈夫か?」と心配しましたが、自動計測器との誤差は2.2%でした。ポリシーホルダーと測定者が同じという問題もありますが、コミニティー自身がマイクロインシュランスのプロジェクト・デザインに直接関わることができるのだと学びました。

ここでも、現地の人を「子供」扱いするのではなく、彼らの「能力を信じること」が大事だと思いました。


それでは

もちろん、「事前対策」や「事後対策」がだめだといっているわけではない。災害直後には、保険の支払いの計算などしているのでなく、無償の援助が必要だろう。ただ、もっと規模に左右されにくい対策があったらよいと思う。そこで僕は途上国での保険に興味がある。保険のプロジェクトを立ち上げるのに、多くの建物を建設する必要ない。保険の支払いは、メディアや政治に注目されなくても支払われる。

こんなところでも、公民の関連というか、民間(保険)の役割が出てくると思います。それに、無償の援助と違うので、自力でがんばる試みを育てる事になると思います。

保険は気候モデルに連動しているおり、周辺で干ばつが何かの指数で実測されれば、自動的に保険が入る仕組みになっている。これはこれで問題が無いわけではないが、モデルが正確に干ばつを指定できなければ、干ばつの指数が実際の被害と連動していなければ、この保険はギャンブルにしかならない。

環境省の「アセスメント」と「合わすメント」

環境省がいわゆる切れる子の調査を行うそうです。


最近はと言っても、僕が覚えている限りずーと「最近の子供は切れる」と聞きますが、この理由が遺伝や環境の影響があるのではないか考えて、調査してみようとなったらしいです。


多少無断研究のようにも思えるが、すればよいと思う。遺伝は環境の要因で無い結果になっても、環境省は発表してくれるのなら。


過去にも、環境ホルモンが騒がれた事があって、環境省が研究をしました。そのときの結果は、「環境ホルモンはしろ(問題なし)」でした。

多分世の中で言われているような問題は環境ホルモンといわれている化学物質からはないだろうとのことです。

環境省はあまり、天下り先もないので研究が増えた方がよいので、「環境ホルモンは問題がある」とした方が彼らには利益があると思うのだが、そうしなかったのはある意味よいのではないだろうか。

自分に不都合でも、それでも、きちんとその結果が発表する。


ここで言いたいことは、「環境ホルモンが存在するのか」とか、「切れる子が遺伝の問題なのか」と言ったことに正否をではなく、自分の不利になる結果を発表できるかどうかの重要性を言っているのです。


日本ではあまりよいシンクタンクがでない理由は、「自分の不利」になる情報を発表できないからだと思う。


つまり、「アセスメント」をするのではなく、利害にあった「合わすメント」をしてしまう。

今回の「切れる子」の調査でもはっきりと色眼鏡なしに結果を発表してもらいたい物です。

グラミン財団の方針から学ぶ、カリスマ会社の問題点

本職とは別に、日本のNPOに参加しており、その関連でグラミン財団の資料を翻訳した。


一番気になった部分はマイクロファイナンスにに関係なく、会社のマネージメントに関して:

  • 「人的資本センターは、MFIsの間でより戦略的な人事管理を助長しようとします。」
  • 「例えば、多くのNGO(非政府組織)のように、MFIsは組織のリソースでは手が届かないような結果を達成するために、しばしば人望と社会的ネットワークに優れたカリスマ的指導者によって運営されています。」
  • 「都合の悪いことに、しばしばこれらのエグゼキュティブ・ディレクターの強みのため、MFIsは中間管理の能力を向上させることにめったに投資しません。」
  • 「そして、リーダーの引退の最初の波が押し寄せてきている今、MFIsの組織の生存能力に疑問が入ってきています。」

実際、こうなんだよね。MFI(マイクロファイナンス機関)やNPO・NGOだけでなく、多くの中小企業がこんな感じ。実際、これはこれで当面は問題では無いのだが、これでは成長に限界があるとおもう。成長に関しては、Appleのスティーブ・ジョブの様に例外もあるかも知れないが、そのカリスマが倒れたときはどうするか、これは、Appleの様な例外も避けて通れない。

とんがって、やれるとこまでやるのも良いが、中小企業から一歩抜け出すのには人脈や統率力は組織化する必要があると思う。ワンマン会社は外から見ている分は面白いが、僕個人としては働きたくないです。

スマップがいつまでも人気があるのはメンバーの全てがスターだからだと思う。ワンマンバンドより、需要が必然的に多くなるだろうし、それ以上にメンバーもスマップとして残っていくことにやりがいを感じると思う。ワンマンバンドでは、「ワンマン」以外の人は参加しても面白くないだろう。おこぼれからの金銭的満足は別ですが。

中間管理能力自然と身に付くものなんでしょうか?

途上国から先進国になって、途上国に戻った、日本

当面は大型の予算を組み、赤字国債を買い取る仕事をゆうちょ銀行に持たせ、見掛け上は辻褄が合う。しかし、対GDPで累積公的債務が200%にもなるのを目前にして、誰かが国債は本当に大丈夫か?と叫んだ途端に暴落する、という危機が刻一刻と迫っている。長期国債の利回りがジリジリ上がっているのは、その何よりの証拠だし、また他の先進国を見回しても日本のレベルまで国債を乱発しているところはない。普通の国ではいくら国債を出しても、買い手がいないからである。


大前健一氏のこの記事を見て心底日本は大丈夫かと思う。単純に考えて、今の日本の現状は、「今後返せる見込みも無い人がどんどん借金を積み重ねている」のと同じである。その内借金ができなるなるのが普通であるが、郵政の逆戻りで借金をさせてもらえる仕組みがあれば、今後も借金は増えるだろう。

記事のタイトルが「日本がアルゼンチンになる日の予感がする」であるが、その説明が無いのでここで書く。


開発問題のジョークで「世界には4タイプの国しかない」というものがある。

最初の3タイプとは:

  • 先進国
  • 途上国
  • 途上国から先進国になった、日本


それから、パンチライン

  • 先進国から途上国になった、アルゼンチン

アルゼンチンも借金に借金を重ねて国がつぶれたのである。

日本の現状がこれに近いのであるので、国債で国が潰れれば「先進国から途上国になった、日本」になるだろう。


そうなると、上のジョークののパンチラインが:


「途上国から先進国になって、途上国に戻った、日本」


になるだろう。


やはり、先進国になるのは難しいのかとなってしまう。正直、海外に何年も住んでいたので客観的に日本を見て、日本は全然先進国ではないと思っていた。経済だけ成長したが、制度、民度などはかなり低いと思う。それが経済も沈んでいくので、本当に途上国になるのだろうか。


この話をどんだけ話しても、まともに聞く人は少ない。みんな「まさか日本がね〜」というのだが、もうすでにアジアでも「1番」の国ではない。シンガポールやボルネオに一人当たりのGDPでは抜かれているし、中国や韓国にGDPでも抜かれる日がその内来ると試算されている。

最高の一日:いい波にBD3とパタゴニアのサーフボード

今日は本当に波が良かった。昨日も良かったが、今日は無風で程ほど暖かく、この島で一番メジャーなポイントブレークがパワーとサイズとも最高の状態になっていた。200Mはゆうに走っていけるだろう。そこそこ込んでいたがそれでも、本土のポイントに比べたらたいしたこともなく、3時間ほどのセッションで何本波に乗ったのかも覚えていない。

サーフィンはどんだけやっても飽きない。波だけでなく、板が違えば、又楽しさも違う事を、今日は思い知らされた。

普段は乗っている板は、6’2”丈夫な板で薄くは無いが細くて今となってはかなりクラシックなデザインだと思う。今日は前から狙っていた「5フィートのCole BD3」を友人から借りることができた。


BD3の詳細はここ:



「先生BD3乗りますか」と聞かれたので

「も、も、もちろん。お、お、お願いします!」とすぐさま板を交換したもらった。

板を海の中で交換してすぐに思ったことは、「乗れる気がしない!」。それぐらい小さな板だったが、浮力がたくさんあるので、テイクオフの早さにはびっくり。頭を超える波でも問題なく波に乗れる。浮力があるので、この浮力が嫌いな人も多いだろうと思う。後は短さ、思ったよりも前に乗ってパドルしたほうが調子が良かった。それに、あまり後ろ過ぎると、乗ったときに後ろ足を置くところがなくなってしまってあせる。実際に最初のテイクオフではそうなった。

ドライブ感が無いので、変にちょこまか動いてしまうのに手間取った。前足に重心を乗せてサーフィンをする人には全然向かない板だと思いました。後ろ足に重心を置くことを気にしてサーフィンができるのでその分ではいいと思った。

うまい人はこんな風に何でもありの板ですか:

そうこうしているうちに、別の友人が:

「ちょっとBD3に乗せてください」


と聞くので、彼のぺらぺらのパタゴニアに板に変えてもらった。こちらの板も薄すぎて乗れない気がしたが、ところがどっこい。この板は本当に調子が良い。テイクオフも問題なし。乗ったら乗ったで、こんなに後ろ足に波の力を感じた板は無かったです。板が吸い付いてくる気がした。すーごく楽しくて、まさに僕にはマジックボード! 正直ほしかったです。BD3を交換した友人がBD3にてこずったので、すぐに交換することになってしまって残念!

このパタゴニアのぺらぺら板に乗らなければ、BD3ほしくなっていましたが、普通の良い板と比べたらBD3はやはり少し曲者ですね。

しかし、かといってぺらぺら板と買うかといったら、それもまた難しい。この島をそのうち出て行かなくては行けなく、そうしたらまたそんなにサーフィンもできない状態になると思う。その時、このぺらぺらの板は壊れそうで旅行には向いていないと思う。

サーフボードは奥が深いと思うね。短いからとか、薄いからだけでテイクオフの難しさが決まるわけでもなく、同じような波でも全然波の上での走りが違う。

サーフィンは僕が環境の仕事をしたいと思った原動力の一つなので、今度もバリバリ続けていきたい。まだまだ、飽きることは無いだろう。

主観的な環境学

先日、息子と公園に行き海を眺めていた。この島は海が綺麗なことで有名だが、公園から見える海はコンクリート固められており、錆びた船が見えたりして、決して綺麗とはいえる場所ではない。そのときふと息子が:



「綺麗な海だね」


と、話しかけてきた。
幼い子供の言うことだから、「また適当なことをいって」とおもって、心もなく不意に:



「そうかなー?」


と、言ってしまった。

そしたら、息子が:

「きれいだよ!あの、きらきらする所を見てよ!」


って、言われてしまった。


確かに、きらきら太陽の光が反射している海は綺麗だった。コンクリートで固めれてしまった、海を見て、「そんな海は綺麗ではない」と先入観を持っていたので、きらきらする海を見ても綺麗に見えなかったのだろう。

ある意味、環境学とは主観的な学問である。幼い息子には綺麗な海も偏見をもった僕の目には汚い海に見えてしまう。

これが、別の国で、別の宗教で、開発レベルが違うとお互い相容れない考えを持ってしまう。


有名な話で、あるイギリスの少年が当時のマレーシアのマハティール大統領に「森林を伐採しないでください」と、手紙を書いたら、大統領は「それなら、自分の国を森に変えて、動物や鳥をかえばいい」と手紙で返事をしました。

自分がすてきなことだと思っていることが他人にはそうでもない事よくある。お互いに何が大事かをできる限り科学的に折り合いをつける。それがむりなら、お互いに他人の意見をよく聞き、自分の意見を一方的に押しつけたりしない。現実の環境問題とはこうやって主観的に対応していくしかないだろう。