忘れたくない「交換日記」の内容:マルブさんありがとう

今朝、Gmailに古い大学のメールをその時のタイム・スタンプのまま取り込む方法がわかり、昔の大学のメールをいじっていたら、何とも懐かしかった。メールは現代の「文通」であり「交換日記」だ。古いメールを読むと、あんな時にあんなことを考えて、頼み、行動して、失敗して、励ましてもらって、「もう一度頑張ります」といっていたりする。僕の人生の足跡。一番古いメールは2001年の物。

もうどこにも存在しないだろうが、もう少し前の、オックスフォードに来る前のメールを読みたいとおもった。ある人との「交換日記」の内容を忘れたくなかった。


オックスフォードに来る前に、僕は環境関連の修士と博士コースを取りたいと思っていた。当時、僕は決まった人と昼食を取るのが嫌で、いろんな人のテーブルに行き話しかけていた。前からケニア人のマルブさんをたまに見かけたが、話をしたことはなかった。そこで、彼の前に座って一緒に昼飯を食べる事にした。彼は文部省の奨学金で京都大で修士をしたので、すごく親日派でした。その時は彼にすごくお世話になるとは思わなかった。


他愛ない話の後、大学院を探していると彼に話したと思う。そして彼がいきなり言ったのは:

「なぜオックスフォードか、ケンブリッジにいかない。」


自分の事をバカとは思ったことは無かったが、これらの大学は雲の上か、さらに上の宇宙までに行ってしまうような天才がいく大学だと思っていたので、いきなり質問には、彼が何を言っているのか良く分からなかった。冷静に彼の言った大学の名前を考えてみたら、正直言って、これらの有名校がアメリカかイギリスにあるのかも、その時は定かでは無かったと思う。そこで、僕の回答はもちろん:

「僕がそんな大学いける訳ありません。」

そしたら、マルブさんが:

「大丈夫、君ならいける。」


正直、大学の成績は悪くはなかったっていうか、少し調子に乗ってしまっているぐらい絶好調だった。18の時に「全盛期の近藤マッチより熱い男」といわれて時ほどではないが、かなり熱いことを普段から口走っていた。だから、マルブさんの前に座っていた僕は段々とその気になってきた。彼はいろいろな理由をあれこれ述べて、「オックスフォード、ケンブリッジスタンフォード、ハーバードのどこかに行くべき」と僕を丸め込んだ。もちろん、スタンフォードとハーバードがどこにあるかも正確には知らなかった。だけど、僕は段々乗ってきた。なんだか、いける気がしてきた。だけど、だけど、

「もし受かっても、生活費も授業料も高そうだから、とても僕には払えそうにありません」

って、マルブさんに話したら。アフリカ人の最高に明るい笑顔で:

「大丈夫、君なら奨学金ももらえる。」


一体何の根拠があってそんなことを言うのかわからなかったが、こんなこと言ってくれる人は誰もいなかった。彼の後ろに「ケニアの大草原と夕日」が見えたかどうかは覚えていないが、すごく寛大な笑顔で言ってくれた。大学院に行きたいって人に話すと「ムリムリ」とか、「何の意味がある」とかそんな回答が大半だった。だから、なぜだか僕を100%信じてくれていることがすごくうれしかった。


それから僕はことあるごとに彼とあって話をしたり、メールでやりとりをした。彼はクチだけの人ではなく、どうやってこれらの大学に応募したり、奨学金をもらったりしたら良いか手取り足取りおしえてくれた。この「オックスフォード入学大作戦」はよく深夜にまで密かにつづけられた。オックスフォードとケンブリッジが英国で、スタンフォードとハーバードがアメリカの大学と分かった時には、アメリカの大学に応募するには遅すぎた。だから、当初の彼の言葉どおりオックスフォードとケンブリッジだけに応募した。もちろん、授業料と生活費を全額払ってくれる奨学金にも応募した。



大学の一次審査と二次審査、カレッジの一次審査と二次審査、それから、奨学金の一次審査と二次審査と面接。心臓が「バクバク」しづめの半年が過ぎた。今回はこのジェットコースターに乗ったような経過は省きます。


この「大作戦の結果」はマルブさんが信じてくれたとおり、両大学合格。そして、第一志望のオックスフォード大学に授業料と生活費全額免除の「オックスフォード・神戸奨学生」としていくことが決まった。後で知ったが、もしランダムな選択であった場合、これは100倍の競争率だったそうだ。それを「君ならできる」と心から言ってくれ、そして、ほんとに親身になってマルブさんが助けてくれたことは一生忘れないだろう。

量子力学の世界では、僕が今存在している世界とは別の世界があるそうです。もし、僕がマルブさんとあの時会わなかったらどうしていただろう。どこか別の大学で博士を取っていたかもしれない。大学院にいくのを諦めてしまったかもしれない。マルブさんはあの時は間違いなく僕の今の人生を「観測」していて、「君ならできる」と言ってくれたのだと思う。彼はいつまででも、僕の「人生の師匠」です。オックスフォードに来てから、何度も彼にメールを送った。彼がケニアに帰ったのも一つの原因だろうが、なぜだかメールのやりとりがうまくいかなかった。もちろん、彼の事は僕の博士論文にも謝礼をかいています。


話を初めに戻すが、もしオックスフォードに来る前のメールが読めるなら、マルブさんや奨学金と大学の事務局の方達との「文通」や「交換日記」が読める。楽しいことも、悲しいことも、辛いことも人間はいつか忘れてしまう。だけど、この僕の人生の一つの「転機」忘れたくない。過去の記録が残っていないので、今回とりあえずこのブログを書いた。また、いつか続きを書こうかな。