森林資源によるバイオ燃料の可能性

マスコミの加熱した報道もあり、最近はバイオ燃料と聞くと「食料危機」を思い浮かべる人が多いだろうが、食料と原材料が競合しないバイオ燃料も多いっていうか、今までビジネスとして成り立っているバイオ燃料は、ほとんど「ゴミ」から作られてきた物だろう。

スウェーデンの世界バイオ燃料の前哨戦として、林業から出るゴミなどをバイオ燃料に変える会社を数社見学した。

初めに訪れたのは、Eva engi。


この会社は林業からでる、葉っぱ、小枝、大枝などを燃料として熱電気複合利用又は熱電併給(combined heat and power)を行っている。これらは昔はゴミとして扱われていいたが、この会社はこの「ゴミ」を利用して、発電と町全体の暖房への熱供給をしている。

驚くことに、街の98%の暖房と50%の電力をこの会社がこの木屑から提供している。葉っぱ、小枝、大枝などは林業者からマーケット価格で買い取っている。最近はこのタイプの熱電併給を始める会社が多いので、値段が上がり1メガ・ワットあたり20ユーロで取引されているそうだ。それでも、利益をきちんと上げているのがすばらしい。

煙の汚染も99.9%取り除いており、ボイーラーに残った灰も、将来的には林業に肥料として返す予定のそうだ。よく、ライフ・サイクル管理がされている。




二つ目に訪れた会社Booforssjoは、木材の生産からでたおがくずを小粒の「ペレット」としてバイオ燃料を生産している。このペレットは各家で暖房の燃料として使われている。このビジネスはエコシステムができており、ペレットを作る機械の会社も、配給の会社も育っている。

これらの森林資源からのバイオ燃料ビジネスが日本で成功するだろうか。


ちょうど、日本の研究者の方にあったので、その話をしてみた。


一番目のビジネスはインフラの問題で難しい。まずEva engiはエネルギーを提供している地域は70年代から街の暖房の熱源をを一ヶ所で製造して、お湯をパイプで流すインフラができている。そして、このインフラを元に熱電併給を作ればよかっただけのことだ。1994年からは暖房の熱源は完全にバイオ燃料で行われている。

日本にはこの「街の熱暖房のインフラ」が無いので*1、この熱電併給は難しいかもしれない。

それでは、Booforssjoの家単位の熱暖房のビジネスはどうだろう。これもまた難しい。これは家に一ヶ所の熱源をおいて、暖房を循環するするシステムが必要である。日本もこの動きがあるが、これはオール電化になるだろう。

それ以上にパレットの生産が、ビジネスを成功させる「クリティカル・マス」に到着しないことが問題かもしれない。Booforssjoが生産するパレットは5.5万トンで、一社で日本全体の2万トンをはるかにしのぐ。日本は土地利用の割合で見たら、たしか世界2番目の森林率を誇っているが、今はほとんど管理されていない森なのである。多くの森林資源がありながら木材の自給率は20%ぐらいである。


その理由の一つが、補助金などにより、「甘やかされてきた」からであろう。林業の業者は補助金などにたよりっきりのビジネスになってしまったので、彼らの中からイノベーションを起こすつもりが無いのだろう。


おりしも今年はBooforssjoの創立500周年のそうだ、かれらの森林資源によるバイオ燃料ビジネスを見ても分かるように、変化する環境に対応してチャレンジする会社でないと500年持ちこたえる事はできないだろう。補助金はスタートアップには良いかもしれないが、500年持つ会社を作ることはない。

過去のバイオ燃料とクリティカル・マスの話

多くの世界では、「バイオ燃料」が食糧価格の高騰に大きく影響を与えているとは言えない。「バイオ燃料」をもっと必用としている地域はある。その理由は、温暖化・気候変動などの為の炭素排出削減といった世界規模の理由ではなく、健康は女性の労働削減と言ったもっとローカルな理由からだ。

これらの利点がありながら、クリーンな燃料への転換が難しい。インフラの整備が整っていないので単に現実的なオプションでないとか、文化的なバリアがあったりとか色々問題がある。

4月に、ある有名な環境維持開発の研究所に行った。その時、バイオ燃料にかなり悲観的な方がいたので色々と話を聞いた。彼は「バイオ燃料はいろいろと越えなくては行けない問題が山積みだ」といって聞かせてくれた話がそのまま、今日のFTに書いてあった。

「クリティカル・マス」では、例えば、彼はハーバード・ビジネススクール(HBS)の女子学生に関する話を使用しました。 HBSはおよそ40年前の女性学生をはじめて受け入れました。その時、300人の総学生数中、およそ8人だけの女子学生だけが登録しました。 彼らには、もちろんこの状況は快適ではありません。そして、ある女子生徒は登校してきませんでした。そこで、HBSは、簡単な方針で「クリティカル・マス」を作成しようとしました。

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製造業しか、グローバル規模での国際競争にさらされたのです。製造業だけが、霞ヶ関の過保護行政にがんじがらめに守られなかったからこそ、早くから海外進出して、幾度も失敗を繰り返しながらも乗り越えて、グローバル規模で戦えるまでに成長できたのです。

*1:たしか筑波とかがあったかも